宿題の量

夫とお買い物にでかけた娘。買ってもらったのはKATAMINO。これ、結構お値段するんですよね・・・。珍しく娘に買い与えたものがこれっていう。

こういうパズルは答えがワンパターンじゃないのがいいですね。

我が家の宿題は、数学塾からのプリントが1枚と英語のワークブック2ページ。これが1週間の宿題量です。それとは別に、ホームスクール的に取り組んでいるものがあり、漢字や算数や数学や理科や色々あります。けれどそれらには宿題という名前はついていません。やってもいいし、やらなくてもいいので。ただ、多少面倒くさくても勉強っぽいことは取り組んでおいたほうが、頭がすっきりしているようです。取り組むまで嫌だなぁってなりますが、取り組み始めると案外楽しいものです。ただ、取り組む内容のレベル設定は非常に大事で、難し過ぎるとできない自分に心が折れてしまうので、ちょっとのヒントで「あ!わかったかも!」ってなるくらいの物をそろえるようにはしています。もちろん、失敗はたくさんあります。「もう数学なんてしたくない。なんで今までやってたのかわからない。」と言い出したこともあります。そういうときは、だいたい新しい分野に取り組み過ぎてついてこれなかったり、間違うことが多くて傷ついたりしたときです。取り組んでいる内容が高校レベルなので、心は小学生ということをついつい忘れてしまいます。日々反省。

あ、それが言いたかったわけじゃなくて!宿題の量の話をしたかったんです。今の分量になってから、「これくらいなら全然嫌じゃない!」と言うようになりました。え?少なすぎひん?って心底私は思ってるんですが、よくよく聞くと、これくらいなら書く作業は嫌じゃないという意味だそうです。答えを口で言うだけでいいなら、もっともっと宿題があっても問題はなくて、ただ書くのがほんとうに嫌みたいです。パソコンを使えるようになって、書くことへの抵抗感は強まった気もします。いいんだか悪いんだか。昭和な母は自分の価値観が捨てきれませんので、もうちょっと鉛筆持ったら?と思っています。一応、ぐっと飲みこんで言葉にはしていません。

難しいのが、嫌なことから逃げてばかりはダメというのも一理あって、「嫌」のレベルが「拒絶」の範囲かどうかっていう見極めは大事かなと。黒板を爪できーーーーーってやるのが宿題って言われたら、私は発狂します。子どもにとっての「嫌なこと」が、「嫌」という言葉で表現されると、その見極めが難しくなります。嫌なものから逃げる=悪、みたいな概念があるので、一度たちどまって、子どもをしっかり観察するのが大事だと思っています。黒板を爪できーって1か月やらないと昇進できないって言われたら、私は昇進を諦めるでしょう・・・。意味のない宿題はできないし、意味があったとしてもツラすぎる宿題はできません。

診断名もしかりで、(診断名)だから○○しなきゃ、ってならないよう、子ども自身を見る!同じ診断名がついていても、全然特徴が違うこともありますから。3%の塩水と10%の塩水じゃ、しょっぱさ違いますしね。活用できる場面も違います。けど、どちらもその濃度じゃないと意味がない!っていう場面もあります。言葉に縛られないでいきましょう!

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