仲間の存在

HSC/GIFTED

おはようございます!今日、迷惑フォルダを久しぶりに確認しお返事いたしました!ごめんなさい!!初めてご連絡いただいた方で、返事もらってねぇよ!っていう方がおられましたら、ご連絡くださいませ。(どうやったらこれを防げるのだろう・・・)

母子分離不安歴2年の娘。まだまだ私がいないとダメな部分はたくさんありますが、友達と待ち合わせてバスや電車に乗って出かけることができるようになりました。友達の存在の大きさにびっくりしています。感謝しかありません。そして、フリスクに来てくれている子どもたちも、初めて会ったときは「親が一緒じゃないとダメで・・・」と付き添いをしていた子がほとんどでしたが、なんと全員の子が付き添い無しになりました。一人で電車に乗って来ている子も一人じゃありません。この現象はなんなんだろうと考えていますが、答えは出ていません。けれど、私が何かをしたわけではなく、子供たちが子ども同士のかかわりの中で変化していったことは間違いないと思います。けど、やはり贅沢なもので、せっかく友達と出かけることができるようになったのに、もっと一人でこれもやれたら、あれもやれたらと思ってしまいます。欲深い生き物だわ!

ASDの子は共感が苦手とあちこちに記載がありますが、ASDっ子たちの中にいれば共感ができる、という研究があがってました。当たり前のように思いましたが、そうか、すべては定型の人間たちから見たものが世の中にあふれているのか、と気づかされました。私は日ごろの子供たちのユーモアに笑ってしまいますが、ここが学校なら変な目で見られちゃうのかな、とか。忘れ物をする子も多くて、筆箱は日常茶飯事、水筒、やりたかった勉強やらイヤホン、ipadペンシル・・・。けど、それが当たり前の世界なので、忘れ物をすることを前提に動けばいいだけの話なのです。たぶん、私たちも忘れ物をすることにうるさく言いすぎているのかもしれません。「明日は何か持ち物を忘れるだろうけど、その場合は・・・」っていう育児方法の方がいいのもしれませんね。ちなみに我が家の筆箱対策は、シャーペンと消しゴムをそのままバッグにいれておく、もしくは私のバッグにもいれておく、です。筆箱を忘れても、バッグにはすでに入っている状態です。筆箱に鉛筆が入っていないこともありますし、筆箱そのものへの信用度が低いです。

学校では欠点とされるものが、同じような子どもたちが集まる社会では欠点にはならず、あるあるだよね!になります。そういう会話ができると、子供たち同士で、「私はこうやってるよ」とか「こういうのがあればいいよね」とか、そういう話が出てくるので、定型社会で生きてる私としてはとても参考になります。大人はもっと子供たちの話を聞かねばなりませんね!

さて、我が家のほそぼそ英語・・・。ちゃんと続いてますよ・・・。ネットに落ちてるORT、もう読んじゃいましたので、どうしたものかと・・・。買うほど余裕はない・・・。このシリーズの中1が終わるので、次に進みます!

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