学校選びは慎重にしたのに、「転校したい」

不登校になる前

私が育児に行き詰まって助けを求めたのは、区の教育センターでした。泣きながら電話をしたのを覚えています。娘が小2か小3のときです。「勉強がつまらないから、もっと難しい授業の学校に転校したい。」と言ってきたのがきっかけでした。その場では、義務教育期間だからこれ以上難しい授業をやってる学校はない、と苦し紛れに答えたような気がします。私の説明で納得したのか、それ以降、転校したいとは言わなくなりましたが、「中学からは他の学校に行くから受験する。」と言うようになりました。

教育センターに電話をしたのは、授業が退屈で転校したいと感じている娘のことを、どのように学校に伝えたらいいかを相談するためでした。どう考えてもモンペ扱いされると思ったのです。電話で対応してくださったのは臨床心理士さんで、小さい頃の様子から聞かれ、それを答えているうちに私は号泣していました。試行錯誤で療育まがいのことをやってきて、それなりにうまくいっていると思っていたこと。幼稚園選び、小学校選びも慎重にやってきたこと。自分で情報を集めてHSCやギフテッドにたどりついたこと。まわりに相談しても、うらやましい悩みとしてしかとらえてもらえず孤独なこと。親族にすら理解してもらえないこと。今までたまっていたものがあふれ出ていました。

娘の学校選びは本当に慎重にしました。まず、保育園のときに「お子さんはここでは物足りないと感じている」と先生から言われました。ちょうど3才児までを対象とする園だったこともあり、幼稚園を視野にいれることにしました。公立の幼稚園から私立の幼稚園まで、地域の幼稚園からいわゆるお受験幼稚園まで。けれど、なかなか娘が納得する幼稚園に出会うことができませんでした。体験保育中もムスっとしていて、何か嫌なんだろうなというのは伝わってきました。「なんで他の子は先生の言う通り座ってられないの?」と言ったり、「なんで親は自分の子供を注意しないの?」と言ったりすることもありました。もうこれ以上娘が納得する幼稚園はないかも・・・と最後の最後で見学に行った遠方の幼稚園で、娘は「ここにする」と言いました。何がきっかけだったのかはよくわかりません。ただ、とても雰囲気が優しく、がちゃがちゃしすぎてない、懐かしい感じのする園でした。家から1時間以上かかる幼稚園で通うのは大変でしたが、スクールバスもないので3年間頑張りました。ここは試験のある幼稚園でした。小学校も試験を受けて入学しました。男の子がいるとうるさくて嫌だというので、女子校にしました。おおよそ、楽しそうにしていると思っていたのですが、娘が求めているものは、休み時間のお友達と遊ぶ楽しさだけではなく、刺激的な学びだったのです。保育園でも幼稚園でも学び足りなく、小学校に行ったら勉強できる!と思っていたのが、入学してみると実はそうではなかった・・・。そのショックが大きかったようです。けれど、まだ不登校にはなっていませんでした。

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心理士さんは、母親への介入が必要と判断してくださり、小2から不登校になる小4まで、主に私に対して介入してくれることになりました。私は気持ちを吐き出す場ができて、落ち着きを取り戻すことができました。最初は月に1回で面談をしていましたが、そのうち間隔をあけても大丈夫なようになり、最後は半年に1回の面談になっていました。不登校はそんな矢先の出来事です。

娘が心理士さんのすすめでWISCⅣを受けたのは8歳のときです。そこで、娘が高知能であることがわかり、また少し凸凹があることも判明します。

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