ギフテッドの不登校スタイル

3日目の登校日をお休みしたので、ここからは少し日数があきます。次は火曜日です。今のところ考えているのは、学校に行ったとしても1コマだけかなと。おまけに、その週は登校日が2日しかなく、そのうち1日はフリースクールの曜日と重なっています。その火曜日は、図書室で本を借りて読む授業があって、行くならそこ。図書室には目をキラキラさせていたんですよね。読みたい本がたくさんある!って。コロナの関係で、図書室でろくに本もさわらせてもらえずなんですよね。自宅にも、本は大量にストックしてはいますが、もう何周読んだかわからないくらいになってます。物足りないみたいです。娘のパソコンの中に、「お金ができたら買ってほしい本リスト」が作成されています。

ここから1週間ちょっと、家での学びもちょっと変えないといけないのかなと考えています。なんせ娘の精神状態が不安定なので、そこを回復できるようなやり方にシフトしなきゃいけない。いっそ、勉強をやらない方向でもいいのかなとも思ったりもするけど、知的欲求があるのであればそこを満たしておく方が安定するのかなと。このあたりのバランスがすごく難しくて、「何もしない」ことを選択すべき時もあります。本当にただただ休養をすべきときなのか、いつも迷います。とはいうものの、何もしないということは娘にはなくて、ひたすら本を読むかマイクラをするか、何かについてひたすら調べているか、やっぱり何かやってるんですよね。このあたりが一般的な不登校とはちょっと違ったりするのかな?とも思います。ギフテッドの不登校のスタイルなんでしょうか?そういえば、「シフト表を作ってみたい」と昨晩言っていました。娘の頭の中にある世界で働く従業員のシフト表らしいです。以前、私が職場のシフト表を作っているのを見たからだと思います。

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家で娘が喜ぶような学びができるように調整すればするほど、学校に適応できなくなっている感じがします。つまり、どんどん学校のやり方と離れていっているということなんだと思います。最低限、中学受験に必要そうな内容はやるとしても、ホームスクールの時間割は他は娘がやりたいことをたくさん盛り込んだ内容になっています。もちろん、50分授業とかいう枠にもとらわれていないし、満足したらそこで次の授業にうつるし、急な時間割変更もOkだし、逆に1つのことを徹底的にこだわりだしたら「やった!」とガッツポーズしたくなるし、それを邪魔しないようにそーっとしておくし。そういうときの娘のキラキラした感じとか、見てるこっちが嬉しくなります。学校に行くと、そのキラキラ感がどんどん失われていって、悲しくなります。

決して、学校にまだこだわっているわけではありません。こだわりが残ってるのは娘と主人です。ランドセルも新しくなったし、筆箱も新しくなったし、色々学校に持っていきたいんですよね、娘は。その気持ちはとてもよくわかります。けれど、メンタルがやられてしまって、新しい物で楽しむどころじゃなくなってしまう。娘が参加したいのは、体育と図工と家庭科だけなので、コロナでその副教科がほぼ無い状態の今は、通うべきじゃないのかもしれません。正解はわかりません。でも、基準は、娘がキラキラしているかどうか。それが失われるようであれば、その選択は間違っていると思っていい!と自分に言い聞かせようと思います。

結論!その子にあった学び方ができる環境を作る!これしかない!場所は学校以外を積極的に選択すること。

 

 

Universal Speakingで英語を学ぶ

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