高学年だけど分離不安がまたまた悪化

不登校をきっかけに発動した母子分離不安。たくさん安心材料を与え、上向きになっていました。何もかも全て一緒じゃないと行動できなかったのが、トイレは一人で行けるようになり、自分の部屋で一人で過ごせるようになり(30分くらいが限界)、大丈夫と思える範囲が広がっていっていました。しかし、コロナがやってきました。刺激に対して張り巡らせていたアンテナが減っていたのに、またバリバリと立ち始めたのです。

先月のブログに、分離不安が悪化したことは書いていますが、そこからさらに悪化しています。寝るときの私の顔の位置も細かく指定されます。唯一の救いは、まだトイレには一人で行けることです。収集癖も悪化しています。ついにゴミまで捨てなくなってきました。布団のシワや服の畳んだ後の形にもこだわりを見せるようになりました。これはまずいなと思っています。一度強化されたこだわりを崩すのは本当に大変で、大きくなったときに社会生活を営めなくなるかもしれません。

flower

母子分離不安は不登校を経験する大多数の子に見られるもののようです。母親と離れることで、不安が増強します。私はこの現象を実は直視できませんでした。なぜなら、小さいころの私の育児のやり方が原因で、母親と離れられなくなっているような気持になるからです。思い当たる節はたくさんありましたし・・・。HSCだということに気づかず仕事人間をやってきたので、たくさん娘の心に負荷をかけていたのかなと・・・。主人はそんなことないよと言ってくれますが、そんなことあると私は思っています。けれど、自分を責めることはやめました。今さら過去を後悔してもどうしようもないので、今できるフォローを頑張ります。

私の仕事人間ぶりは、たぶんそこそこひどかったのかなと思います。1才になる前から保育園に預けていましたし、3才からはフルタイムで働いていました。シッターさんに送迎をお願いしていましたし、残業で21時をすぎることもありました。出張で夜いない日も月に数回。主人がちゃんといる日にしていましたが、母親と父親の役割はやはり違います。娘が「もう頑張れない!」と爆発したのも、私の職場ででした。それでも教育ママでもあったので、時間のあるときはしっかりかかわっていたと思います。量より質!と思って頑張ろうって。もしかしたらHSCじゃなかったら、こうはなってなかったのかもしれません。質でフォローできていたのかもしれません。

分離不安の子の接し方は、「〇〇しながら」は通用しません。洗い物しながら勉強を見てる、とかダメです。ちゃんと横にいて”私をちゃんと見てくれている”とわかるようにしないとダメです。携帯いじりながらとかもってのほかです。適当な返事もダメです。きちんと1対1で向かいあうことが大事です。それが娘の心の安定に一番効果的です。つまり、母親は自分の時間がほぼ無いということを意味します。私は家事がほぼできなくなりました。趣味の時間もありませんから、もう趣味自体がなくなってしまいました。そうすると今度は私の方が病んできます。一日中穏やかに娘の横にいるのは、かなり至難の業でした。今度は別のネガティブな感情が沸いてくるのです。専業主婦になったのに家事ができない、ダメダメ主婦じゃないかと。仕事人間だった私には、「専業主婦=家事を頑張らないとダメ」という概念があったのです。

主人も最初は同じように感じたみたいです。家にいるのに家事ができてない、というニュアンスのことを言われたことがあります。けれど、実際どのくらいそばにいないとダメなのかを説明したり(喧嘩にもなりました)、またその場面を見ることで理解していったようです。今は私がそばにいられるよう、家事はかなりやってくれるようになりました。今朝も、朝から勉強につきそっていたら洗濯を干しておいてくれていました。お昼ご飯も出てきました。途中、私がふと一人でぼーっとできるのは、娘が読書をし始めたときくらいです。マイクラ中は意外とダメで、「見て見て!」すごく話しかけてくるので、興味のない私にはつらいです。

何より、どんな状況下であっても、母親が笑って過ごしていることが一番娘の安定剤になります。この際、苦笑いでももういいかな・・・。だめか。

※ちょっと読んでみようかなと思っている本をご紹介してみます。参考になるかはわかりませんし、時間があるかもわかりませんが!!ちなみにブログは、娘が読書をしている合間に、1つの記事を何日も書けて少しずつ書いています。

タイトルとURLをコピーしました