不登校、学校とのやりとり

小4、不登校開始~3か月

不登校開始から1か月半ほど経過したころ、1時間だけ授業に参加するようになっていました。だいたい体育です。私は学校まで付き添い、こっそり陰から体育を見ていました。娘から、ぎりぎり視界にはいるところにいて、というリクエストがあったので。授業中は何の問題もないように見えました。逆に、とっても楽しそうに見えました。うちの子、不登校だったっけ?みたいな感覚にさえなりました。まわりのお友達もみんな温かく迎えてくれました。たまに2時間くらい授業に出ることもあり、少しずつ学校との距離は戻ってきたように思えました。先生ともこまめにやりとりをし、いつか復学できるようにと調整していってくださっていました。私がいられる別室を毎回用意してくださり、登校前にはその部屋もあたためておいてくださったり、学校側の手厚い配慮に感謝でいっぱいでした。学校側からの希望もあり、スクールカウンセラーとも状況を共有していました。ただ、私はスクールカウンセラーの先生のことが苦手でした。「転校したい」と言い出したときに1回お会いしているのですが、WISCの結果もご存知でありながら「集団の中でやっていくには我慢しかない」と言われたことがずっとひっかかっていたからです。頼るのはやめようとこのとき心に決めました。けれど、HSCに関してはきっと先生たちに助言してくださるに違いないと期待もしていました。

不登校4か月目

ちょっと学校との関係性が怪しくなりはじめます。たぶん、私のやり方がよくなかったんだと今は思っています。私はなんとかHSCで学校がつらいんだということをわかってほしくて、感覚過敏についてアピールしていたつもりでした。けれど、「算数や国語の授業は出られるようになりますか?」との問いに、「なります!」とは言えず、「難しいと思います。」と正直に答えていました。私の中では(絶対に出ないだろう)という確信があったので、それをやんわりつたえたつもりでした。けれど、学校側からしてみれば「難しいと思う」と言われれば、復学は難しいだろうとイコールに近いものになるのだと思います。この頃には、週3で学校に行くときもあり、確実に登校時間は増えていました。教育センターの臨床心理士さんも、学校と直接やりとりをしてくれるようになりました。母親が直接言うのと、専門家が言うのでは学校の受け取り方は絶対に違うと思ったので。

不登校5か月目

教育センターの臨床心理士さんからの提案で、学校に来て直接先生がたに話してくれることになりました。いわゆる関係者会議というやつです。教頭先生やスクールカウンセラーの先生も参加され、もちろん私も参加しました。心理士さんからは、ギフテッドのことはおいておいて、HSCをメインに話をすすめようと事前に打ち合わせをしてありました。やはり知能が高いことはプラスに受け止められることは少ないようです。”復学ができるのかできないのか”をとにかく知りたい学校側に、それは今わかることではなく、その場その場で対応していくしかないこと、完全復学を目指すのはゴール設定としてまずいことなどを話してもらいました。この頃、私はちょっと学校に違和感を覚え始めていました。全学年をみわたしても学校に不登校の子がいないのです。そこでちらっと聞いてみました。「今、うちのような子はいますか?」と。すると、「以前はいらっしゃったりしましたが、今は(娘)ちゃんだけです。」と。それが何を意味するのか、私は考えないようにしました。

不登校6か月目

心理士さんとは、関係者会議をしてみんなのバラバラになっている方向性を、少しは軌道修正できたんじゃないかと話していました。けれど、一応聞いてみました。「学校から退学を勧められたりすますか?」と。心理士さんの経験上、私立であっても義務教育期間だからそこまで強く言われたご家庭はなかったと。不登校の子がいない学校に抱いていた違和感がこれです。学校にとって不登校児は邪魔なんじゃないかと思うようになっていました。実際、担任の先生に聞いたこともあります。「不登校の子が学校にいると、学校にとってデメリットになりますか?」と。もちろん「なりません」と言われましたが、業界のことはわからないので信じるしかありませんでした。けれど、ここ来て急展開をみせます。来月からは小5。学校側は娘のペースを待つことはできませんでした。学校に呼ばれることになります。主人には、あらかじめ私の予感を話しておきました。「退学をすすめられるような気がする。そうなったら私では冷静に対応できないだろうからお願い。」と。母子分離不安があるので、学校との話し合いはいつも夫婦のどちらかしか参加できていません。

sad

私が最後に学校に行った日

悲しみと腹立たしさとで泣きながら帰ってきました。家に着く前に心理士さんに電話をしました。「完全復学が見込めないなら、学校の教育方針と反する。心理士さんの説明も受けたが、理解が難しい。子供たちには、好きな授業だけでて嫌いな授業にはでてないように見えてしまうから、他の児童への影響も心配。診断書もないから、外部から何か言われたときに対応できない。」と言われ、もう私は退学でいいと思ったと伝えました。診断書は確かにありませんでした。発達障害のクリニックを受診しましたが、発達障害の所見がないため出なかったのです。かわりにHSCの方で意見書を書いてもらっていました。不登校になってから半年、あまりにも早い幕引きでした。

これで本当に最後

主人だけが学校に行きました。やはり、私だけが説明を受けて、それを元に決断するにはリスクがあります。学校から再度説明してもらって、結果的に退学の意思を主人が学校に伝えました。その後の手続きはすべて主人が行いました。私も娘も学校には行っていません。最後の挨拶もしていません。ただ、娘からみんなへは手紙を書きました。それを学年だよりに載せてもらうようにしました。主人は、手続きが終わった後に校長先生に会ったそうです。私は1度も会っていません。この6か月間、校長先生に我が家がお会いしたのはこの1回だけです。主人が言うには、これまでのいきさつを全くご存知ないように感じたと。不登校が1名発生、くらいの情報はあがっていたと思います。そういえば、関係者会議にもいらっしゃいませんでした。娘は自分を理解してもらえなかったという気持ちで、しばらく不安定になりました。排除される、切り捨てられる、これは大人でもつらい経験です。暗い話で終わりますが、大丈夫です。我が家には光がちゃんと差し込みます。

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