学校に行くべき VS 行かなくていい

不登校になった子供を学校に行けるように働きかけるべきか。学校に行けなければダメな子なのか。そもそも学校に行かないという選択肢はないのか。不登校を経験された方は必ず通る道だと思います。我が家も例にもれず。「学校は勉強だけじゃない。友達関係を通して社会というものを学ぶ場だから行くべきだと思う。勉強がつまらなかったら適当に過ごしていたらいい。遊びに行くつもりで行けばいい。」という主人の言葉が、私にはうすっぺらい定型文のように聞こえました。娘のことを何も理解できていない、とすら思いました。つまらない授業を適当に受け流して過ごせる子は不登校にはなりません。教科書のはしっこにパラパラ漫画を作ったり、ザビエルの顔に色々書き込んで別人にしたり、友達に手紙をまわしてみたり、こっそり本を読んだり、鉛筆の側面に大吉、中吉とか書いておみくじにしたり、机のはしっこに糸をテープでくっつけてミサンガを作ったり。あ、これ全部小学生のころの私ですが、皆さんも経験あると思います。これが凡人の授業の過ごし方です。ちなみに、凡人ではない授業の過ごし方の例として、「教室にいない」という主人のやり方もあります。どこに行ってたんでしょうね。主人は、5年生くらいにはすでにランドセルを使うのを辞めたらしいです。自分の意思で調和から逸脱できるって、凡人の私は尊敬します。

娘のいないところで、夫婦の話し合いが繰り返されていました。娘は私にべったりなので、主にラインでのやりとりです。主人の主張は、落ち着いたら復学を目指そうというものでした。勉強に関しては遅れているわけではないし、最低限のラインをクリアしていればいい。けれど協調性を学ぶ場だし(協調性の無いあんたが言うなって思いましたけど、そこはぐっと飲みこんで)、勉強以外で得るものはたくさんある。これ、よくある話だと思います。みんなコレを言います。小さい頃から社会に刷り込まれたものみたいに感じます。けれど、私は凡人なので主人の言いたいことがよくわかりました。ただ、私が”学校で社会性を学ぶ”必要はないと結論を出したのは、もう数年も前のことでした。

私の経験になります。保育園も小学校も中学校も高校も、色で言うと灰色なんです。楽しかった思い出って何?と聞かれても困ります。灰色なんですから。けれど、家でどう過ごしていたかは色んな色がついた記憶です。不登校にはなっていません。私は学校という小さな社会で何を学んだのか?一見協調性のように見える、”自分殺し”でしょうか。輪を乱さず、目だったことをせず、親に心配かけないようにすること。

娘の学校選びはそんな自分の経験に基づいています。自分らしく過ごせる場所を見つけてやらなきゃ、そんな思いが強かったのです。なので、自分らしく過ごせない場所ならそこにいる必要はありません。

私は主人にはっきりと言っていました。HSCの子にとって学校は我慢を強いてまで過ごす場所ではないと。心に残す傷の方が大きい、私のようにはしたくない。協調性を学ぶ場所は学校だけではない。ましてお受験でチョイスされた子ばかりの特殊な環境で学ぶ協調性は、社会で何の役に立つのか。たとえ転校しても、刺激の多い公立小でもまれることが娘の健やかな成長につながるのか。HSCの子が自分の能力を伸ばすためには、安心できる場所で過ごすことが一番大事だと。話の合わない友達関係がそんなに大事かと。話の合う子供がいる環境を探して提供するのが私たちの役目じゃないのかと。

結局のところ、学校が楽しかった人にとって、不登校の子の気持ちはわかりません。不登校に限らずなんでもそうです。娘は私のようにパラパラ漫画を作ることはできないし、ミサンガを作ることなんてもってのほか、本をこっそり読むことだってできません。なぜなら、娘の根底には「授業に出たからにはきちんと授業を受けるべきだ。」という考えがあるからです。これはどうやっても崩すことができません。というか、娘の考えの方が正しいですから。ただ、これは娘を苦しめます。きちんと授業を受けなければならない、けれど知っていることをずっと聞いているのはつらい、意味のない板書をしなければならないけど腕が動かない、足は勝手に動き出して地団太を踏んでいる、もう嫌だ!!となるわけです。

ギフテッドあるあるですが、嫌なことへの拒否反応は激しいです。自分に対する評価も厳しいです。これはもう経験した者にしかわからないのですが、納得がいかないと暴れたり、暴力や自傷行為につながります。娘も自分をたたいたり傷つけたり、自分をののしったりすることがありました。娘を知っている私の友人からすると、信じられないことだそうです。全くそうは見えないと。外面は知的でお上品なお嬢さんですから(家では一人忍者ごっこしてますけど。手裏剣飛んできます)。不登校になって元気を取り戻してから、娘の攻撃性はなりを潜めました。

時々、主人が「勉強はしなくていい、学校に遊びにいけばいい。」「学校に行けるようにならないとね。」と発言することがあり、その度に娘は傷ついていました。娘もまたどこかで、学校に行けない自分を卑下していたのです。みんな我慢していました。主人は、学校に行ってほしいということを発言しないように我慢。娘は、親に心配をかけないよう学校に行けるようにしようと我慢。私はその板挟み。そんな我が家が変わってきたのが、2回目のWISCの結果が出てからです。ストレスから解放されたことで能力を発揮し始めたことが、数値として目に見える形で現れたからです。「学校にいかなかった偉人は多い、何かを成し遂げるには、人と違うことをすることにネガティブになってはいけない。学校に行かなきゃと思っている時点で、あなたは自分の力を最大限に発揮できない。逸脱することを恐れないで。ママはあなたが何をしようと全力でサポートするから安心して。」そう伝えたのは、不登校から3か月目くらいでしょうか。


コロナの件もあり、主人が学校のことを口にすることがなくなりました。公立にうつったことで、お金の心配がなくなったことも一つあるのかもしれません。主人は口には出しませんが、娘の知識量が格段に増えたことを理解しています。娘の口から出てくる単語が、主人の知らない単語だったりしますから。けれど、娘が天狗にならないよう主人は必要以上に褒めません。「まだまだだね。」って逆に刺激します。不登校になったからこそできた友達もいます。娘のコミュニティは広がっています。どんどん新しいことにも挑戦しています。「小学校は必要ないから行かないけど、中学校は行ってみたい。どんなところか知りたい。通うかどうかはわからないけど!」ですって。

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