学校から1ヶ月離れてみる

学校に行けなくなった日、家族会議で1週間休もうと決めました。そして、ひたすら大好きな読書をして過ごしました。1週間なんてあっという間でした。そして1週間後の土曜日、この日はちょうど半日授業ということと、主人も休みということで3人で学校に向かうことにしました。私は、前日の夜の娘のこわばった顔が忘れられませんでしたが、娘の着替えを手伝ったりしながら、「”学校は必ず行かなければならな場所”ではないんだよ。あなたの中で、まだその気持ちが残っているから苦しくなると思う。こども六法に学校に行くことが義務と書いてあった?親は子供に学ばせる義務はあるけれど、子供が学校に行かなければならないという義務はないんだよ。学ぶ場所は指定されてないんだよ。」と話しました。それがどこまで娘に届いたかはわかりませんが・・・。

そして案の定、駅まではたどりつきましたが、電車には乗れませんでした。主人も娘のこのような様子を何度か見ているので、今は学校に行かせるべきではないと判断が一致しました。夫婦で話し合った結果、1か月まるまる休もうという結論に達しました。学校にも1か月休むことを連絡し、その間私から毎日学校に「今日は休みます」と言う連絡も不要にしてもらいました。

分かれ道

この頃には、私は仕事を休職する手配を整えていました。お給料の心配はありましたが、今はそんなこと言ってられません。なぜ母子分離不安が出てきたのか、娘の心の底にあるものはなんなのか、それを引き出す作業をしていかなければと思いました。私のグーグルの検索フォームには、ひたすら「不登校」という字が並びました。すごいですね、「不登校を治す」とうたっているサイトが多いこと!とても違和感を抱きました。そして、不登校に親の心がついていけていなくて、わらをもすがる思いでそういうサイトに飛びつくのですね。親自身、「学校に行かないといけない」という気持ちが強いことのあらわれだと思います。かつて自分がそうだったように、学校に行くというレールにのらないと社会不適合者のレッテルがはられますもんね。そしてまた学校も、集団生活に適応できない子供ははみ出し者として扱ってきます。(すべての学校がそうじゃないと思いますが、娘の学校ではそう感じました。)

不登校最初のハードルは、そんな「学校には無理していかなくていい」派の私と、「学校には勉強以外にも学ぶことはあるから行くべきだ」派の主人との対立でした。

こども六法は娘に以前買った本で、子供が法律を学ぶのにとても読みやすい言葉で表現されています。いじめのことなど、子供の世界でよくありそうな場面をふんだんに取り入れて書かれているので、パラパラめくるだけでもおもしろいそうです。大人も勉強になります。そしてこの本で娘は、子供には学ぶ権利があることを知ります。そして「学校に行っているとこの権利がきちんと守られていないと感じる。」とはっきりと言うようになりました。返す言葉が見つからないどころか、「そうかも!」と思ってしまいました。

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