娘が自分でそんなことを言ってきました。ことの発端はとある事件。(事件だらけの人生)
カフェでバイトするようになってから、コーヒーをちゃんとドリップするようになりました。娘もそれができるようになり、私より上手にいれたりします。私はいつもそこそこ下手で、これでよく首にならないなと思うのは、カフェがおいしさの提供をメインにしていないからです。変わったオーナーのおかげで私は働き口があり、娘は人生の経験の幅を広げていっています。そんなこんなで、娘が自宅でも同じようにコーヒーをママに作ってあげたいというようになりました。そこで昨日、コーヒーフィルターを買ってきて娘が入れようとしてくれたのですが、50枚入りの49枚をシンクの油ぎとぎとフライパンの中にドボンとやってしまったのです。フライパンには水がはってあったので、一瞬にしてフィルターはそれを吸収しました。いつもなら泣き叫んでしまうような場面なのですが、悲しそうな顔をしているものの泣きはせず、「人生いろいろあるよねーwww」と笑い飛ばすママを見て、「そういうと思った」と。その後、10年前くらいに使っていたフィルターの残りを発見し、事なきを得ましたが、「前ほどパニックにならなくなった」と自分の変化に娘自身が気づけており、すごく成長を感じました。
ささいなことでも周りの声が届かなくなるくらいパニックになっていた娘ですが、確かにそういうことがなくなっています。
過去のパニック事件①
過去のパニック事件②
過去のパニック事件に比べると今回の事件は小さなものではありますが、ハプニングが起こってもパニックになるより何か手立てを考えようという思考ができるようになってきました。成長なのかなんなのかははっきりしませんが、
考えられることその1
私自身の失敗談を面白おかしく伝えるようにしていた。ハプニングは失敗という認識ではない、ということを伝えるようにしていた。たぶん、パパも同じようにしてくれていたと思います。
考えられることその2
不安や悲しいという気持ちは発生するが、その気持ちにのっとられてしまっては自分がつらいだけだよということを伝えていた。言葉で伝えることは日ごろから意識していた。
考えられることその3
何か事件が起こるとママはたいてい笑い飛ばしてくる。大阪人的にはそれはおいしいネタじゃないか!みたいな。(バカにされているように感じさせないようにはしなきゃいけませんが)
考えられることその4
パニックを起こしたとき、パニックの度合いの変化を伝えていた。私の声が届かないときはそばにいて放置。声がとどくようになってきたら、「パニックが少し落ち着いてきたね」と娘の状況を伝える。パニックが起きてから落ち着くまでの自分の変化を認識できるようにする。自分を客観的に見れるようにしむける。
そんなこんなで、自己理解が進んできたのかもしれません。
昨日はなぜか一日中ご機嫌さんで、寝る前に「なんでだろうね」と二人で笑っておりました。今日もそうでありますように・・・。