昨日、久しぶりに出してみたのが道づくりと呼んでいた問題。升目のところどころにワニがいて、そのマスは通らずに全てのマスを通ってゴールまで行くというもの。子どもには受けがいいプリントです。一番難しいところをやっていたのですが、途中から夫も参戦。娘より早く解けて、喜んでおりました。
娘と遊ぶお子さん、頭を使うことに飢えている印象があるので、頭を使いたい子ども用にドリルやらパズルやらをそろえようと思っています。娘が使っていたものはメルカリで売っちゃったんです。その子に合った問題をさりげなく渡してあげるのって、子どもが嫌がらず「やってみたい!」って思わせる技術がこっちに必要なんですが、どうしても大人側のエゴが入ってしまいます。ここまでやらせたいとか。そのエゴをどれだけ減らせるかが勝負でもあります。もうちょっとやりたかったのに!くらいで終わらせるのがポイント。プリントの難易度設定も気を使います。サクサク解ける問題●割、ちょっと考える問題●割、がっつり考える問題●割、とその子にあった割合にするんですが、しょっぱなに子どもががっつり考える問題をやり始めそれにはまってしまった場合、その日はその1問で終わることもあります。今日は1問しかやらなかった、という言葉だけきくと、なんにもやらなかった風に聞こえてしまいますが、1問しかやれないくらい頭を使ったという見方ができれば、また違います。解いたあとに「お腹すいたー!」って聞くと、フル回転したんだろうなぁって思います。と、そんなことを娘が小さいときはやっていましたが、今は手抜きし放題・・・。書いていて反省しました。こういう考え方、娘が通っていた算数教室から私に染み付いたものなんですが、通っているお子さんみんなメニューが違っていて、先生すごいなーって思ってみてました。そして、これはもうDNA的な問題もありそうですが、女性の先生の方がよく口を出すんですね・・・。子どもを見守れる時間(見守れる忍耐時間)が違う。家庭とおんなじ!w←反省!
夜中にスライムを作り始める娘をみていて、やりたいときにその物がそこにある、っていうのは子どもにとって大事なことだと思っています。火がついたそのタイミングで燃やしてやるのが一番スマートに進みます。物がないから1週間かけてそろえておくね、というのも仕方ないときは仕方ないのですが、年齢が低いほどの熱量の維持が難しいと感じています。とは言っても、何をそろえるにもお金が必要なので、家庭でできることには限界がありますし。ずっとこれは我が家の課題です。家も狭いですしね。
そうそう、私は語彙力がないし言語化が苦手なのですが、「ギフテッドの子と多数派に属するお子さんとでは、生きているスピードが違う」というのを感じています。ははっ、伝わらない!多数派のお子さんは小学校6年間必要だけど、ギフテッドの子は半分かそれ以下でいい、それくらいのスピード感で生きている、そんな感じです。死ぬまでの年数は約80年と同じだとしても、その80年で処理する情報量が違う。だから、ギフテッドの子どもたちのスピードにこっちが合わせるというか、心地よいスピードで生活できる場所を用意してあげる必要があると思っています。日本は文化的に、海外ほど「あの子はあんな感じだから~」ってほっておいてもらえないので、ほっておいてもらえる場所があるというのが大事かなと思います。常にそこにいる必要はなくて、パワーを取り戻したいときだけでもいいし、ふらっと立ち寄れるような場所がいいかなと。自分がそこに行きたいと思ったときに行ける場所。安心できる場所でありながら、刺激ももらえる場所。めっちゃむずい。けど、当事者がその場所を作るとなるとそれが実現できるのかな?子どもたちを応援していこう。裏方頑張ります。
あ、タイトルとゴールがまた違うところになっちゃった。