我が家の不登校ストーリーはものすごい速さで駆け抜けていきました。たった半年で、それも五月雨登校していたのに退学をすすめられ転校。最初は不登校に後ろめたさがありました。しかし3ヶ月ほどしたら吹っ切れてきて、4ヶ月ほどしたら不登校でいいじゃん!ってなり、その後はどんどん前向きになりました。我が家では”ポジティブ不登校”と呼んでいます。しかし、このポジティブ思考が学校には良くうつらなかったのではないかと、最近思うようになりました。表向きは隠してたつもりなんですが、きっと言葉の端々でちらちら見えていたと思います。不登校で申し訳ありません、みたいな空気をもっと出しておいた方が、うまく世渡りができたんじゃないかと思うんです。
不登校という言葉は好きではありませんが、伝わりやすいのでこのまま使います。学校という集団生活になじめず、協調性がないと捉えられることがあります。また、協調性を学ぶために学校に行くんだ、と考える人も多数おられます。周りに合わせることがそんなに重要なことなのだろうか、と最近は思うようになりました。枠からはみ出さない教育を受けてきている私のような世代は、若い人たちに比べて学校への適応を強く求めてしまう傾向があるように感じています。不登校児を抱える親は、きっとこれに苦しむのでしょう。昔は不登校児の居場所は今ほどなく、後ろ指さされるような存在でした。今はそこまでではないとは言え、あからさまに不登校で生き生きと過ごしていると、なんだかネガティブな視線を浴びるような気がします。大人がよってたかってそういう子を非難しているのを見ると、心が痛みます。自由に生きていることがうらやましいだけなんじゃないか、と私には見えてしまいます。そして、そういう非難している大人は、わりと私と年齢が近いかそれ以上か。学校でみんな横並び教育世代といいますか、学校で学ぶものは勉強だけじゃない!とか言っちゃう世代ですね。格好悪いとしかいいようがない。
なので、我が家は自分たちを守る上でも、身近な人たち以外の前では、「学校には行けないままだけど、まぁなんとかやってるよ。ぼちぼちだね。焦らないようにしてる。」と言うようにしています。実際に娘のことをよく知る人は、「ほんとに不登校なの?全然見えない。」とおっしゃいます。娘自身が不登校を前向きに考えられるようになるまで、これもまた時間はかかりましたが、今は胸を張って生きています。胸を張れるようになるのにはまず、母親が胸を張れるようにならなくてはいけません。子供はその背中を見て育ちます。
ホームスクールが認められれば、不登校という言葉自体がなくなるんでしょうね。フリースクールが出席扱いになりましたが、フリースクールを利用している不登校の子は少ないですしね。まだまだ先は長いですね。