昨日ツイッターで「子供の好きなことを徹底的に応援すると天才が花開く」というのを見かけました。本当にその通りだなと思います。と同時に、好きなことがない場合はどうしたらいいの?と思いました。
娘が不登校になってしばらくは、好きなことに没頭できるほどのパワーはありませんでした。娘が自分からしていたのは読書くらいでした(これも好きなことではありますが)。その当時に先ほどのツイッターの言葉を聞くと、おそらく私の心は相当ダメージをくらったんじゃないかなと思います。読書しかしない娘を毎日見ていて、私には不安しかありませんでした。いつ、この暗闇を脱するのだろうと。不登校に関しては寛容な私でも、先が見えないことが怖かったです。まだリビングで過ごしてくれていたので、娘の様子がわかることはよかったです。自分の部屋に引きこもってしまっていたら、不安はさらに大きなものになっていたことと思います。といっても、娘は環境に非常に過敏なので、自分の部屋で一人で過ごすことはできません。聞いたことのない音に毎回毎回びっくりして、何の音か確かめないと不安でしょうがない子です。
数か月して読書以外に自ら動き出したのは、うちの場合は勉強だったかもしれません。出かけなくてもできるお手軽さがよかったのかもしれません。算数と英語をやっていました。けれど、思いっきり娘の殻をやぶいたのはフリースクールの存在だと思っています。よくフリースクールの見学に行けたなぁと、振り返ってみると驚きです。本来、学びに貪欲なタイプなので、たくさん刺激されたんだと思います。そこからです、娘が自分から「〇〇をやってみたい」と言うようになったのは。心が大きな傷を負っていると、自分の好きなことって出てこないんですね。ある程度傷が癒えないと、好きなことにも走っていけない。そう考えると、今の娘はだいぶ傷が癒えたんでしょうか。不登校になってもうすぐ1年になります。ひたすら待つ、これに尽きた1年です。とにかく学校をにおわせない生活を心がけました。体育と図工は行っていたのですが、あれも今思えば行かないほうがよかったかもしれないと思う自分もいます。もしかすると、親のために行ってくれていたのかもしれません。
「好きなこと」がある人って本当に幸せだなぁと思います。今の私には「好きなことって何?」と聞かれて即答できるものがありません。好きな物って、考える時間がないと現れない気がします。せわしなく生きていると、自分が何が好きか気づけないような気がします。暇な時間ってとても大事。そういえば、「子供にたいくつな時間を作ること。そこから色んなものが生まれるから。」と心療内科医にも言われました。不登校にはその特権があります。塾や習い事がたくさんあっても、器用にこなして自分時間を作れる子供もいますが、そっちの方が稀です。好きなことがでてくるまで、あまりお膳立てしすぎず、見守るのがいいのかなぁ・・・。親は不安のあまり色々と言ってしまいがちですが、たぶん子供はそれを感じていて、親が安心したいがために自分に言ってくるとわかってしまう。「子供のためにママがいいと思うこと。」であって、主語がママなんですよね。全然うまくいきませんが、とにかく話すときは子供が主語になるように気を付けています。7割ぐらい失敗していますが。たぶん、主語が子供になると、子供からしたら自分を見てくれているという感覚になるんじゃないかなと思います。
今でこそ、色々と興味のあることに突き進み、飽きたら次へ次へとせわしない子ですが、小さい頃は全く違いました。初めての習い事は、半年間何もせず、ただその場の様子を私に隠れて伺うだけでした。月謝泥棒!って心の中で叫びながら、「ママが楽しそうにしていたらそのうち参加するようになるから。」というスタッフの言葉に支えられながら耐えました。その後にスタートしたリトミックも同じような感じでした。何もやらない娘に苛立ってしようがなくて、先生にバレないように「ちゃんとしなさいよ!」とドスの聞いた声でささやいたりしていました。ちょっとした虐待ですよね・・・。小学校に入るくらいまではそんな感じでした。ただ、マンツーマンだと参加できていました。今でこそわかりますが、大勢だと刺激が強すぎるということと、情報量が多すぎてついていけないことが理由だと思われます。もしかすると、どう振る舞えばいいかなども考えていたかもしれません。
子どもに好きなことがないという場合は、何からしたらいいんでしょうね。まずは色んな選択肢を見せるところからでしょうか。それもおしつけがましくならないように。・・・めっちゃ難しい。けれど、こちらの提案に飛びついてくれる子はそもそもパワーが蓄積された状態の子。そうじゃない子へどう関わればいいのか、最近の私のテーマです。