永遠のテーマに思えてきました。ギフテッドあるあるだと思います。この戦いをもう何年続けてきたか・・・。母は先生と娘の板挟みです。あんまり深いところまで追求すると、”宿題には意味はあるのか”というところまでいっちゃいそうなので、それはいったん置いておいて、わが子にはこれは必要なのか、必要だとすればどのような形にすればストレスが少なく取り組めるのか、を娘と一緒に考えてみました。”娘と一緒に考える”ことがうちの子には大事です。納得しないとやらないので。
<前の私立小での様子>
小1の夏休みから計算ドリルに苦戦し始めました。とにかくやりたくないのです。やりたくない理由は、簡単すぎるというものでした。けれど、やらないという選択肢はありませんでした。私立小では、学校の言うことは全うせねばならない、みたいな雰囲気がありました。先生”様”みたいな。いい意味でいうと、きちんと先生としての立場が確立されている、そんな感じです。保護者が先生をなめてかかるようなことはありません。なので、モンペはいません。私自身も通知表を気にしていたので、課題を未提出するなんてもってのほか、夏休みはプラスαでやったことを提出しなくては!という思いでいました。けれど、どう頑張っても計算ドリルが簡単すぎるんです。う○こレベルで簡単すぎるんです。親としても、やる必要性を感じないので首をかしげてしまいます。そんな親を見ていたら、娘はさらにやる気をなくします。すでに修得しきっているものを基礎から繰り返しさせられるのってどうなんだろう・・・と頭をかすめました。そして、グーグルさんに相談したところ、なんと、親がやっているご家庭がそこそこある!!たぶん、同じような家庭もあったと思うのですが、だいたいは受験や塾の宿題のために学校の宿題に割く時間がなくて、親が学校の宿題を担当する、みたいな情報が多かったです。そして、我が家もそれにのっかる勇気をもらいました。
夏休み、私は仕事の昼休みに計算ドリルをやるようになりました。いかに娘の汚い字に似せるか、左手を駆使して頑張りました。老化防止に絶対いい!と思いながら。しかし、予想以上に課題の量が多く、筆算のページが続くと破り捨ててやろうかと何度も思いました。くだらないのです、内容が。おまけに、掛け算の文章題だと、×の順番にもうるさいのです。伝わりますか?×の記号の左側に書くもの、右側に書くものが決まっているんです。もうそれはしなくていいって通達が出ているにも関わらず!意味のない無駄な時間を私は毎年過ごしました。そして、筆算の横棒を定規で引く、というこれまた意味のない行為も。けれど、この体験は娘を理解する上でとても意味のある体験となりました。子供さんが苦しんでいるご家庭は、一度親もやってみるといいと思います。最初は簡単だから楽じゃーん!って思うんですが、これが毎日続くんです。拷問に近いなと思いました。会社でいうと、勤続20年の人が毎日新人研修を受けているような感じでしょうか。
漢字ドリルに関しては、計算ドリルを免除している分、娘に頑張らせていました。幸い、学年があがるにつれて、漢字を何回も書いて練習するというのが減り、熟語や文を作るほうに重きが置かれたので、だいぶ楽になりました。熟語は自分で調べて書く方式だったので、娘はレアな熟語を調べて書いて、文を作る欄には漢文が書かれていました。幸い、その時の担任の先生がそれを否定しなかったので、その1年は漢字ドリルに関してはストレスがありませんでした。ただ、トメやハライに関しては、これまた厳しくする必要はないと通達がでているにも関わらず、昭和なレベルで厳しかったです。「これはママがOKするから気にしなくていい。」と何度言ったことかわかりません。たぶん、こういう小さな私の行動も、娘が学校に対して不信感を抱くきっかけになっていたと思います。
<公立小にうつってから>
色々と事情を共有できていることもあり、ドリルに関しては先生から提出を促されることはありません。私のほうにこっそり「どうですか?漢字や計算、やったりしてますか?こちらからは提出に関しては何も言わないので、もし先生に見てほしいってなったら見ますね」とその程度です。ただ、やはりどうしても提出物は評価対象になるので、そこを先生は気にされていました。能力はあるのに、提出物がないから評価を下げざるを得ない、ということです。そこは先生ともきちんと話して、評価はこちらは気にしていないということを伝えています。(私も娘もほんとはちょっと気にしますが、外で自分を認めてもらえるような機会があるから、通知表が悪かったとしても、自己肯定感は下がらないと思っています。)最初の頃は、目新しいこともあり、漢字ドリルは6ページほどやりました。計算ドリルはすぐにドロップアウト。そのままやらずに1か月ほど経過しました。
<娘との話し合い>
どうしてドリルが極端に嫌なのか、一緒に分析しました。これまでの経過もふまえてわかったことは、いたってシンプルでした。「脳が刺激されない」からです。脳を使わない単純作業は、拒絶に値するくらい嫌なことみたいです。なので、漢字ドリルがうまくいっていた時は、自分でいかに難しい熟語を探し出すかが楽しく、また漢文も自分の知らない新しい世界で楽しかった。おまけに、日本にはない漢字にも出会え、新しい知識が増えた。なので、学校から提示されているやり方をやめて、漢字ドリルにのっていない熟語を書くことを提案してみました。計算ドリルも、私が独自に作ったものであれば喜んでやります。だって、難しいんですもの。「中学への算数」の計算問題を引っ張ってきたり、浜の最レの計算問題を入れたり、数学の範囲を入れたり、毎日同じようなタイプの計算じゃなくて、「今日はこれか!!」となるようなワクワク感が詰められた計算ドリルです。「全然嫌じゃない!」と言います。そして、そのオリジナル計算ドリルを先生に提出しました。先生は久しぶりに娘からノートが提出され、「お!」となったらしく、しかしノートを開いてみたら「おーおー、うんうん、はいはい、わかったわかった。」とおっしゃっていたそうで、娘はくすくす笑っていました。
<まとめ>
少ない練習回数で漢字の形そのものは習得します。ただ、このご時世、漢字が書けなくても生きていけます。娘はADHDの気質があると医師に言われていますが、診断を下すほどではないとも言われています。つまり、ドリルを完全撤廃する必要はないということなのかな?と私は思っています。楽しく取り組めて、本人にとって意味のある方法で取り組めるならやろうと思います。私も計算ドリルを作ったりと手間がかかるので、負担になるようならやめます。悩ましいのは、「やりたくない」という娘の一言だけで判断すると、ただのわがままに聞こえてしまうわけです。その言葉の裏にある気持ちや、脳の事情までをくみ取ることが大切ですが、これがめちゃくちゃ難しい。うちの場合は、身体的症状を目安にしています。字が明らかに崩壊したとき、腕の動かし方がおかしくなったときは、脳が拒絶反応を起こしていると判断しています。本当はそうなる手前で気づいてやりたいのですが・・・。
私も菩薩さまじゃないんで、感情にまかせて大きな声をあげてしまうこともあるし、ノートを壁になげつけてしまうこともあるし、仁王立ちで威嚇しておびえさせてしまうことも・・・。あ、それ昨日のことです。娘には私はすごく怖いママなんだそうです。けれど、起きてすぐ抱っこ、ことあるごとに抱っこですけどね。腰が砕ける前に母子分離してほしいです。